こんにちは!孝丸です
私事で申し訳ないのですが僕の父は11年前に他界、生きていれば88歳
現在87歳になる母と僕より一つ下の弟がいます
母は脳梗塞で5年前に緊急入院、弟は産まれてすぐ黄疸になり障害がありほぼ手足が動きません
今はヘルパーさんが来てくれてお世話してくれてます
母は目もほとんど見えなくなり手も動かない状態です
ちょくちょく実家に行くのですが僕が来たことが分からずにいます
しかし少し前から実家に行くと手を握ってあげるんです
すると僕が言葉をかけなくても母が「お兄ちゃんか?」と嬉しい顔をするんです
で、痛い手を擦ってあげるんです
弟に障害があり弟に手がかかり、どちらかと言えば放ったらかされてた僕でしたが、父には感謝できないまま他界したので母には感謝をしなければと思っています
しかしイマイチどうして良いか分からず痛い手を擦ってあげることしかできません
で、何が言いたいかというと皆さんも両親に感謝をできるだけ伝えてくださいということ
皆さんは僕の弟のように障害もなく健康でスポーツができる身体で産んでくれたことに感謝して欲しいです
健康は当たり前ではなく宝物です
学校に行かせてくれたり、弁当やご飯を作ってくれたり、試合や練習の送り迎えしてくれたり、トレーニングに通わせてくれたりとこれを当たり前だと思わないようにして欲しいです
手を握る、握手をするということは挨拶もありますが自分の気持ちを伝える感謝でもあると思うのです
凄く喜んでくれる母を見るとそれだけで十分感謝になってるのかなぁとこの歳になりわかってきました
目が見えなくても手を握り伝わるものがある
それはやはり感謝と愛情であるように思います
手は握らないにしろ感謝の気持ちは忘れない
それが両親にとっては一番の喜びだと思います
ある企業の入社試験で社長が「入社試験はお母さんの足を洗ってあげてその時に感じたことを書いて提出してください」という内容
その時の新入社員の一人は「初めは照れくさかったんですが歳老いた足に涙が溢れ言葉が出ませんでした。母には健康に産んでくれて元気に育ててくれた感謝しかありませんでした。」と書いて提出したそうです
もちろん合格を頂いたそうです
「当たり前を当たり前と思わず特別と思い、感謝は忘れず生きる」
スポーツに限らず人は上手い、偉いだけが凄い人で判断するのではなく、それに伴う感謝や敬意、そして謙虚でなければ良いプレーヤー、一人間として社会から認めてもらえないんじゃないかと思います