こんにちは!孝丸です
感謝状と言うか功労賞
2012年に81FCから頂きました
これは1981年に設立した81FCの30周年記念に81FCに貢献したとして81の中でもごく僅かな人に贈られた感謝状
当時1981年は僕は高校を辞めてすぐくらいに神谷先生から81を立ち上げるからコーチしないかと言われ折角ですがしばらくサッカーから手を引きたいですとお断りしました
小学4年からずっとサッカー漬けの毎日
友達は遊び、それを横目にサッカーあるからと誘われても断り、次第に誘われもしなくなり卒業しないうちから中学や高校の新入学生として練習参加
友達は卒業旅行、テーマパークへデート笑
先日のブログの通り靭帯を切り全てが終わったと思いサッカーは諦めた矢先の話しでした
81に足を踏み入れたのはhiyoが僕がサッカーを本格的に始めた同じ年の小学4年
友達の影響で同じクラブに
それが81FCでした
最初は反対しました
と言うかサッカーをすることに反対したんです
しかし本人の意思が強く81に入会
hiyoには僕がサッカーをしてたことはずっと黙ってましたが小学生の部な代表の渡辺さんに「ヒヨの父さんは凄くとてつもない選手だったんだぞ」と
ヒヨが練習から帰るなり「父さんサッカーしてたの?」みたいな
「あー少しね」と返したのですがもうほぼばれてました笑
でコーチはみんな父兄コーチ
もちろん僕のことなど知りませんので僕はサッカーには口出さずヒヨの父兄でいました
が、噂は早く広まりました
でもコーチはしませんでした
理由は自分の子と他の子と一緒に教えることは無理だとわかってましたので
自分の子に手をかけてしまうか自分の子を潰してしまうかのどちらかだと思ったので
でもサッカーについては今でもhiyoから言ってこない限りは口は出しません
未だにサッカーだけは感性が大切だと思っているのでそれぞれの見方や考え方を大切に思ってるからです
口を出せば感性の幅が狭くなる
サッカーには無限の技術と可能性があると思っています
なので代表の試合や本人の試合ももちろんトレーニングしてる選手のサッカーについても同じで口はhiyoから言ってこない限りほとんど何も言いません
で、何故こんな81からコーチもしてないのに感謝状?
hiyoが小学卒業と共に81安城を立ち上げたんですが5人ほどの小さなクラブ
毎日雨の日も雪の日も練習
18時から20時まで
上手くなりたい子だけひたすら練習の場を作りました
ただそれだけで貢献と言われることは何もしていません
強いて言えば時間があれば81の基となるところへお手伝いをしたくらい
会長は神谷先生
顧問は鈴木先生
事務局は渡辺先生
81の三羽烏と言われたトップ3
で鈴木先生はほとんどコーチとは話しもしませんし相手にもしません
ただ僕とhiyoだけは凄く可愛がってくれたのです
で、鈴木先生の猛烈な薦めで孝丸に感謝状をやって欲しいと言ったらしいのです
コーチレベルでは一切渡してない感謝状
設立当時の僅か数名だけしか渡してない感謝状の一枚を頂きました
81FCの中学の監督ですらもらってない
しかも監督が変わってから一切顔を出さなくなった鈴木先生
ある日鈴木先生が神谷先生初め幹部に言ったことが「81も高齢化し81の後継は孝丸になってもらいたい」と話したそうです
その矢先の中学監督の交代で一切顔を出さなくなりました
袋いっぱいのたくさんのブラジルへ行かれた時のお土産を僕だけにくれた鈴木先生
最近では犬の散歩でも見なくなったそうです
hiyoと僕だけにはほんとよくしてくれました
いつまでも元気でいて欲しいです