こんにちは!孝丸です
ゲームメイク、パサー
小学生の頃、愛知県では最強と言われた集団が刈谷サッカースクール
全国的にも最強と言われたオール清水(現 清水FC)と肩を並べるチーム
その刈谷サッカースクールで主力と言われるメンバーが刈谷市立南中学校に集結しました
越境により集まったメンバー
ただ一つ足りないと言えば中盤でのゲームメイク、パサーがいなかったこと
当時サッカー部顧問が一人の中盤選手を福岡から呼び寄せた
その選手は小学5年まで一緒にプレーしたチームメイト
足元の技術も良い、パスセンスも良い
どうしてもその選手が必要だったのだろう
小学6年から福岡へお父さんの転勤と共に引っ越し
顧問の先生はお父さんに話しをしその選手を下宿させ中学に通わせました
これで役者は揃った
GK、DF、トップ、ウイング、そしてセンターハーフ
GKは血流してもゴールを守りきる亀沢
DFはセンターの山口、スイーパーの高野
トップは必ずフリーの位置にポジションを取る清水
ウイングは清水がどこにポジションを取っても合わせる椙浦
椙浦のスピードに的確に唯一無二のタイミングでスルーパスを出す大木
この大木が福岡から呼び寄せた選手
そう現星城高校サッカー部監督です
このタイミングでパスが出せる選手が欲しかったんです
当時愛知県では最強軍団と言われるチームでした
PKで逆へ反応してしまい足でゴールを防いだ亀沢は当時ナンバーワンのゴールキーパーでした
GKからDFへと繋がり中盤からサイド、サイドから中へ折り返しトップまたはサイドからの切り込みのするパターンはわかっていても阻止できないほどでした
正確なパス、味方の特長を知り尽くしたゲーム展開は芸術的だったかも知れません
右サイドの僕は時折、左サイドへポジションを移動したりトップの位置でシュートを狙い、サイドの角度のないところからニアのボール1個分のスペースへ敢えてシュートしたり中へ折り返す形でアウトサイドでカーブをかけ逆サイドネットへシュートしたり
しかしあの頃は勝てる気しかしなかったなぁ笑